丸山町くんち簿66

丸山町くんち簿(平成25年10月度)
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10月10日夕方6時30分。帰町の時間になりました。
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待ち合わせは思案橋!

庭先回りの二つの班。花組と月組、そして、傘鉾と三つの班が集まります。

そして、傘鉾を先頭に「チョーサイヤ」の掛け声で!
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<一口メモ>
江戸時代初期、第3代将軍:家光の弟:忠長は、次期将軍の野望を抱いていましたが望みは断たれ乱行の末に切腹させられます。そしてその忠長の息子が松平長七郎(家光の甥)で、長七郎も強盗の一味に加わるなど乱れた生活を送っていました。しかし将軍家光の甥ということもあって幕府や紀州家などから援助を受け西日本を転々と流浪したといいます。さらには島原の乱(寛永14:1637)にも2回にわたって参加し、島原の乱後、島原藩の藩主が高力氏から松平忠房に代わると、同じ松平家ということもあり長七郎も島原に残っていたと考えられ、さらに田上は島原藩の飛び地ということもあり、このとき長七郎は田上に足を運んだものと考えられています。

※チョーサイヤについて
昭和30年代まで、くんちで丸山町(他町の一部でも)が庭先廻りを終えて帰町するとき、思案橋を渡った辺りから「ちょーさん」「ちょいさー」「ちょーさいやー」などと言って丸山に入っていました。これは丸山で遊んでいた長七郎に知らせる意味があり、恐らく踊りを終えた踊り子(当時は遊女)に御花(祝儀の意)を渡していたのだと伝えられています。 松平長七郎(慶長19:1614-寛文元:1661)は晩年、田上で過ごしたといわれていますが、くんちは始まったのは寛永11年(1634)、丸山が開かれたのは寛永19年(1642)ということを考えると、長七郎が田上に滞在した頃に、丸山に登楼したのは間違いないでしょう。

ホームページ「広助の『丸山歴史散歩』」より


帰町後はまず、シャギリ!
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仕舞い踊りが始まります!
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なんといっても傘鉾。
今回は場所での時間の制約が多かった!思う存分やってもらいました!
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見えないところでシャギリさんも!
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そして、いよいよ長崎検番の登場!
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踊り子提灯が灯る中、平成25年度の踊りが終わります。
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丸山町くんち奉賛会会長 小濵正美会長からのお言葉
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長崎検番のみなさん!よくここまで頑張って下さいました。
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ここから先は覚えていません?!
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焼き鳥屋を出たのは夜10時半を回っていました。

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