今日の山あるき

今日の山あるきです。
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通勤時ならたくさんの人がいる場所。
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日曜の午前中はこんな感じ
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ここは立神地区の氏神さまの桜谷神社です。
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桜谷というだけあって桜がきれいでしたよ。
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霊験新たなこの神社は・・・

桜谷神社は立神の町から約500メートル、標高も約150メートルほどもある山あいの神社で樹齢約300年以上の杉の古木に囲まれた霊験あらたかな場所です。創建は定かではなく、江戸時代は摩利支天、不動明王を安置して桜谷権現として両部神道(神仏混淆)という位置づけで始まった神社でした。明治維新によって祭神(本尊)を天照大神とし桜谷神社と改称し、旧本尊は社殿横にお堂を設け分離してお祀りされます。以降、社殿の改修や石段の整備が進められ今に至ります。

山に入ります。10:30
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やや急な道、10:40
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立神山に到着、10:45
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ここからは以前ご紹介しましたので説明は割愛します。
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立神越えです。10:52

つぎです
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帆掛山通過。10:56
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西泊中学校通過。11:02
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そして最後のピークにつきます。11:10
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このピークから少しコースから離れます。
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今日はここを調べに来たんです。

ここはおそらく(おそらくというのは誰も調べに来ないからです)

太田尾台場跡(おおたお-だいば-あと)
寛永16年(1639)ポルトガル船の日本渡航を禁止し鎖国が完成。しかし正応4年(1647)ポルトガル船が通商再開を請うため来航し長崎港は緊張が走ります。翌年の慶安元年(1648)西泊戸町番所を増強し、承応2年(1653)幕府は平戸藩松浦肥前守に命じ長崎港内7か所に台場を設けます。このうちの太田尾には石火矢3挺、大筒3挺が並べられました。規模は表21間・東4間・西5間(約95坪:約300平方メートル)

スズレ台場跡
承応2年(1653)の太田尾台場ほか6か所の台場が完成して1世紀半、文化5年(1808)平穏な時代に突如としてイギリス軍艦フェートン号が長崎港に侵入し警備の怠慢が露呈する形となります。そのため同年、スズレほか女神、神崎、蔭ノ尾の4か所に新たに台場を設置し警備を強化(「新台場という)。このうちスズレ台場には石火矢5挺が置かれました。規模は20間×11間(220坪:約730平方メートル)

どちらかなんです。
対岸の魚見山は史跡なんですが、こちら側はまだというか誰も来てませんよ

元に戻ってここ
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木鉢越え11:30
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やぶ椿に応援してもらいながら登ります
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天門峰です。しらと、ともいいます。11:40
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見てくださいこの風景!!
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※写真クリックすると大きくなります
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※写真クリック

私が知っている長崎の風景でも最高点を与えたいですね☆☆☆




行きはよいよい帰りは・・・
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私が知っている長崎の山で最高点を与えたいくらい険しい道です
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ここに出ます。11:55

ここに出ます
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再び木鉢越えへ。12:00
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山を越えて、12:05
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ここに出ます。12:15
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先ほどの台場跡の先はこんなになっています
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きょうは雨も降って来たんでここまで。
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きれいな花が咲いていましたよ
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石菖(せきしょう)?

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